puttinpuddinのブログ

コンサルタント見習いの仕掛かり作業

働き方改革のあるべき形

プロフェッショナルファームにも働き方改革の波が来ている。従来幅を利かせていた過重労働や誤った精神論が否定されること自体は素晴らしい。しかしながら、方法論の進化や個々人の能力/職業倫理の向上とセットで語られないことには大きな違和感と強い憤りを覚えている。

 

 

順序論として、過重労働や誤った精神論にメスを入れないことにはどうしようもない。が、知的資産への投資なしに糾弾の仕組みだけ強くしても、問題は持続可能な形での解決を見ない。業界単位でブラックだった原因を個人の倫理の欠如や怠惰のみで説明するのは余りに稚拙だろう。構造的に歪なままだといつか必ず揺り戻しが来る。

たとえば、労働時間の短いホワイトなアカウントが手放しで評価される風潮があるが、本来重要なのは、その労働時間の短さが方法論の洗練や個々人のスキルの高さに起因することだ。単に特定のシニアの良好なクライアントリレーションに依存するものなのだとしたら、そこに持続可能性はない。

 

また、短期的にも時間制約を厳しく課されたマネージャーは育成から選別に舵を切らざるを得ないため、一見、働き方改革の恩恵を受けているジュニアにとっても、顕在化しにくいだけで弊害は大きい。

プロフェッショナルファームからスタートさせるキャリアは、ファームを離れてからも相応に厳しい。どれだけ専門特化してもあくまでジェネラリストに留まるし、その中で最もリターンの良い大企業での昇進トラックに入るのは極めて難しい。そんな中でも生存可能なように高い能力と職業倫理を身に着けることが、プロフェッショナルファームからキャリアをスタートさせることの本旨であると思うし、身に着けさせることが、環境を提供する側の人間の負う道義的な責務でもあると思う。

そうした本旨を誤認し、または責務を放棄して、年数百万円程度の報酬の差分でゆでガエルになるのもするのも、間違っていると思う。

 

 

念のため繰り返しておくが、僕自身は過重労働や誤った精神論は質されるべきだと思っている。ただし、それを質す手段が知的資産への投資ではなく、個人の悪意の糾弾に一元化される傾向があることは誤りであり見直されるべきと思っている。この業界がより持続的により大きな価値を提供できるようになるために。