puttinpuddinのブログ

コンサルタント見習いの仕掛かり作業

untrainedな人

二十歳前後という人生の序盤のある断面で閾値に満たない性能の凹凸を論うのは、自分が強い立場にいるときは気持ち良くてわからないものだが、後から冷静に振り返ると稚拙な行いでしかない。

 

ある程度の期間適量の関心と技術的な支援が提供され、当人が志さえすれば、ある時点では「阿呆」としか言いようのなかった人であっても見違えるようになる。少なくとも、そのように前提して取り組むことは、時間軸を延ばしてみたり対象者の範囲を拡げてみたりすると、冒頭のアプローチよりも社会にとって実り多い結果に繋がるのではないかと思っている。

 

「僕は人の魂の輝きが見たい。それが本当に尊いものだと確かめたい。」とSFアニメの悪い奴が言っていたが、結局この言葉に戻ってきてしまう。

 

生まれや育ちにたまたま恵まれなかった人がその事実を受け入れたうえで何をするかが知りたいのであって、ある時点で「持っている」か否かには興味がない。生まれや育ちを確認したい訳でも当然ない。様々な偶然が交差した奇跡的な才能の煌めきを目撃したい気持ちはたしかにあるが、端からそんな水準の話ではない。我々はおそろしく凡庸であり、それでいて大いなる可塑性を有している。